考察

ここでは、紹介しているゲームについて考えた事を適当に綴っていきます。

@ レースの過程において一般車・パトカーが登場する作品群

A 箱庭的要素として、また移動手段としての車があり、一般車やパトカーが走っている作品群

B Aに似ているが、車によるアクションに非常に重点がおかれているという点が違う作品群

@の例としては、Need For Speedシリーズが、Aの例はGrand Theft Autoシリーズが、そしてBの例としては、ランナバウトシリーズが上げられる。AとBは区別されない場合もある。Aはクライムアクション、Bはカーアクションとも呼ばれる。

 

近年、特にAの部類に入るものが、暴力的な描写が多いとして批判を受けている。確かにAに属するゲームの多くが大幅な犯罪行為を容認し、かつそれが非常にはっきりと出ている。それゆえ批判の的になりやすいのだが、ほかにも潜在的な要因はあるわけであり、こうしたはっきりと表に出ているものばかりが槍玉にあがるのもどうかとは思う。

人間が生活していると思わせる「リアリティ」というものが、今まで紹介してきたゲームには必要である。これを突き詰めていけば、暴力行為というものを描写することになるのではないか。また、このようなゲームは、現実世界ではできないことをやることができるといういみあいももっているのではないだろうか。筆者は運転免許を持っていない。それゆえに、「ゲームの中で」車をドライブさせて満足しているわけである。「ゲーム」と「現実」ははっきり区別されるべきものであり、確かに、幼少期にこのようなゲームをやらせるのはショックが強いかも知れないが、中学、高校のあたりになれば、そのようなことは理解できるようになっているのではないだろうか。そのような年齢で、このような区別がつかないのならば、それをすべてゲームの責任とするのはいささか問題であり、もっと別の方向からも問題を検討するべきである。逆に、このような行為を正当化してしまっていたり、表現をぼかしてしまっていたりするゲームの方が問題だと思うのだが。

 

さて、話がそれてしまったが、ここからはゲームの内容へ。基本的に、一般車やパトカーのAIは、年が新しくなるごとに進化している。しかし、@のようなゲームの場合、一般車が存在として重視されることがあまりないので、一般車のAIは全体として頭が悪い。逆にAやBのゲームでは、当然のことながらこの要素が大きくかかわってくるので、全体的に頭が良い。パトカーについては例外が多い。古いゲームでもAIは非常に優秀であることも多々ある。プレーヤーの信号での停車の判別はしてほしいなあとちょっと思う。クラクション鳴らされっぱなしは…。

グラフィックも同様に進化している。ただし、このジャンルのゲームは@を除くとグラフィックは同世代のゲームに比べ劣っていることが多い。これは都市を自由に走るため、広い範囲の描画が必要になるからである。コース周辺のみ描画すればよい一般のレースゲームとは違うわけである。また、中小のメーカーが作る場合、AIやグラフィックのクォリティが落ちる場合も多い。まあ大企業はあまりこのジャンルのゲームを作らないが。特に海外で多いのだが、発売元や販売元が違っても、開発元が同じというゲームは意外と多い。逆に、シリーズ物であっても途中で開発元や開発陣が変わることもあるので、購入を検討するときには、そのあたりも考えたほうがよいだろう。

メーカーとしては海外のメーカーがほとんどを占める。紹介している作品で、国内メーカーが製作しているものは、Crazy Taxi首都高バトル0、スリルドライブシリーズ、トップギア・デアデビル、ランナバウトシリーズのみで、その他の国内発売ソフトは海外開発の製品である。ある。日本国内においては、家庭用ゲーム機のシェアがPCに比べて多く、またゲームの傾向として正統派のゲームの方が好まれるようである。「ゲームは子供のもの」という認識が根強いようだ。家庭用ゲーム機のシェアの高さは、メーカーであるソニーや任天堂などの努力であろう。ちなみに海外では、PCゲームのシェアが一般的に日本に比べると非常に高い。これは、国内で一般的に販売されている大手メーカー製のパソコンが、ビデオカード増設不可などゲームのプレイに向かない、という要因もありそうである。

 

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